「さまざまなジャンル」
北海道の児童文学
北海道の児童文学は、明治期に道外の作家による北海道の風物を描いた作品から始まった。大正に入ると、道内でも児童雑誌が発行され、支部沈黙などの童謡詩人が誕生する。終戦後には多くの児童文学雑誌が刊行され、後藤竜二、加藤多一によって多くの児童文学作品が生み出されている。
坪松一郎(つぼまつ いちろう)
1910(明治43)年~1969(昭和44)年
茨城県出身。1928(昭和3)年、江別市に移住。大正期の「赤い鳥」の影響の残る時代に、郷土色豊かな童謡を発表。
伊東音次郎(いとう おとじろう)
1894(明治27)年~1953(昭和28)年
江別市出身。1919(大正8)年創刊の児童雑誌『小学少年』『小学少女』を中心に多数の童謡を発表した。
支部沈黙(はせべ ちんもく)
1892(明治25)年~1969(昭和44)年
宮城県出身。1906(明治39)年渡道。三木露風と出会い、北海道で最初の童謡集『ありのお城』(1928(昭和3)年)を出す。
石森延男(いしもり のぶお)
1897(明治30)年~1987(昭和62)年
札幌市出身。小学校教員時代から戦前・戦後にわたって文部省の国語教科書の編集に携わる。主な作品に『コタンの口笛』や、引揚げ家族の酪農体験を描いた『親子牛』、歴史小説『千軒岳』など。『石森延男児童文学全集』(1971年(昭和46)年)刊行。
辰木久門(たつき くもん)
1913(大正2)年~
小樽市出身。本名達本外喜治。『海のろうそく』は昭和21年小樽小学生新聞に連載後、1947(昭和22)年、玄文社より刊行された。
渡辺ひろし(わたなべ ひろし)
1912(明治45)年~1991(平成3)年
東京出身。大正時代より童謡同人誌『チチノキ』誌友。『赤い鳥』に童謡を寄せる。戦後札幌に移り、「森の仲間」創立に参画。『鳩の扇子』『ろばよ走れ』などの童謡集がある。
安藤美紀夫(あんどう みきお)
1930(昭和5)年~1990(平成2)年
京都市出身。1954(昭和29)年以降北海道津別・北見に高校教師として赴任。その間に執筆した「白いりす」でサンケイ児童出版文化賞ほかを受賞。1972(昭和47)年離道。
長野京子(ながの きょうこ)
1914(大正3)年~2008(平成20)年
函館市出身。昭和45年に創立された北海道児童文学の会代表として児童文学の普及と新人の育成に尽力。
玉川雄介(たまがわ ゆうすけ)
1910(明治43)年~
ニセコ町出身。1920年代後半から童話を書き始め、北炭夕張鉱機関紙「炭光」に童話「ハンノキ物語」を発表。
神沢利子(かんざわ としこ)
1924(大正13)年~
福岡県出身。幼少期を過ごしたサハリン(旧樺太)の思い出を描いた『流れのほとり』や北国の雄大な自然を背景にした長編ファンタジー『銀のほのおの国』『ちびっこカムのぼうけん』など。
加藤多一(かとう たいち)
1934(昭和9)年~
滝上町出身。北大童話研究会創立に参画。1975(昭和50)年、日本童話会賞受賞作『白いエプロン白いヤギ』出版以後、北海道の農村を舞台に、風土に根ざした児童文学を多数生み出す。
後藤竜二(ごとう りゅうじ)
1943(昭和18)年~~2010(平成22)年
美唄市出身。早大の少年文学会に入会。卒業時に書いた「天使で大地はいっぱいだ」で講談社新人賞佳作受賞。自伝的色彩の濃い『離農』ほか今を生きる子どもたちに向けて常に強いメッセージを送り続けている。
北海道の詩
石川啄木(※)ら20世紀初頭の来道詩人らがもたらした近代詩の息吹に刺激され、北海道生まれの詩人たちが活動を始めるのは1920年代に入ってからのことです。やがて、ヨーロッパ詩の潮流に呼応して、新たなスタイルの詩作を展開する詩人たちが現れます。
※「啄」の表記は、正式には「」です。
吉田一穂(よしだ いっすい)
1898(明治31)年~1973(昭和48)年
木古内町出身。代表作に『海の聖母』『故園の書』など。
小熊秀雄(おぐま ひでお)
1901(明治34)年~1940(昭和15)年
小樽市出身。代表作に『流民詩集』『小熊秀雄全詩集』『小熊秀雄全集』など。
更科源蔵(さらしな げんぞう)
1904(明治37)年~1985(昭和60)年
弟子屈町出身。代表作に『種薯』『無明』『熊牛原野』など。1980年日本現代詩人会の<先達詩人への敬意>顕彰を受賞。北海道文学館初代理事長。
和田徹三(わだ てつぞう)
1909(明治42)年~1999(平成11)年
余市町出身。代表作に『和田徹三全詩集』『唐草物語』『和田徹三全集』など。第12回日本詩人クラブ賞(1979(昭和54)年)を受賞。
原子修(はらこ おさむ)
1932(昭和7)年~
函館市出身。詩集『鳥影』(1967年)で第5回北海道詩人賞。詩劇の創作と国内外の公演多数。
河邨文一郎(かわむら ぶんいちろう)
1917(大正6)年~2004(平成16)年
小樽市出身。代表作に『物質の真昼』『河邨文一郎詩集』など。作詞を担った札幌冬季オリンピック讃歌「虹と雪のバラード」は、いまなお多くの人々の愛唱歌となっている。
北海道の短歌
北海道の短歌は幕末期に源を発しますが、本格的な流れは石川啄木の来道によって推進されます。小田観螢、山下秀之助、酒井廣治ら北海道歌壇の基礎を築いた人々に続いて、中城ふみ子、並木凡平、さらには中山周三らに及ぶ多彩な歌人たちが貴重な成果を残しました。1954(昭和29)年に設立された北海道歌人会が、今日までの短歌界の盛況を支えています。
酒井廣治(さかい ひろじ)
1894(明治27)年~1956(昭和31)年
福井県出身。旭川歌壇の基盤を作った。
中城ふみ子(なかじょう ふみこ)
1922(大正11)年~1954(昭和29)年
帯広市出身。代表歌集『乳房喪失』
山下秀之助(やました ひでのすけ)
1897(明治30)年~1974(昭和49)年
鹿児島県出身。「原始林」創刊。
並木凡平(なみき ぼんぺい)
1891(明治24)年~1941(昭和16)年
札幌市出身。「新短歌時代」「青空」創刊。
小田観螢(おだ かんけい)
1886(明治19)年~1973(昭和48)年
岩手県出身。「新墾」創刊。
青山ゆき路(あおやま ゆきじ)
1907(明治40)年~1993(平成5)年
石川県出身。「潮音」「新墾」同人として活躍。
中山周三(なかやま しゅうぞう)
1916(大正5)年~1999(平成11)年
札幌市出身。「原始林」創刊に参加。
北海道の俳句
19世紀初頭に源をもつ北海道の俳句は、中央の俳句近代化の動きを受け、20世紀に入って本格的な胎動期を迎えます。1919年の高浜虚子の来道は伝統系俳人の輩出を促しました。
戦中期にかけての自由律俳句の隆盛を経て、やがて戦後俳句の太い流れが生まれます。
1955年に設立された北海道俳句協会が今日も牽引役を果たしています。
土岐錬太郎(どき れんたろう)
1920(大正9)年~1977(昭和52)年
北海道新十津川町出身。「アカシア」主宰。現代俳句協会賞(1967(昭和42)年)を受賞。
齋藤玄(さいとう げん)
1914(大正3)年~1980(昭和55)年
函館市出身。「壷」主宰。
寺田京子(てらだ きょうこ)
1922(大正11)年~1976(昭和51)年
札幌市出身。「寒雷」「核」同人。
比良暮雪(ひら ぼせつ)
1899(明治32)年~1969(昭和44)年
小樽市出身。「雲母」同人。
佐々木丁冬(ささき ていとう)
1912(明治45)年~1977(昭和52)年
札幌市出身。独学の人。『蝦夷歳時記』を1961(昭和36)年から刊行。
鮫島交魚子(さめじま こうぎょし)
1888(明治21)年~1980(昭和55)年
長野県出身。「ホトトギス」同人。北海道俳句協会初代会長
山岸巨狼(やまぎし きょろう)
1910(明治43)年~1997(平成9)年
余市町出身。「葦牙」主宰。北海道俳句協会第2代会長
園田夢蒼花(そのだ むそうか)
1913(大正2)年~2001(平成13)年
美瑛町出身。「杉」「広軌」同人。北海道俳句協会第3代会長
木村敏男(きむら としお)
1923(大正12)年~2016(平成28)年
旭川市出身。「にれ」主宰。「杉」「広軌」同人。北海道俳句協会第4代会長
北海道の川柳
19世紀末の狂句時代に源をもつ北海道の川柳は、20世紀初頭の井上剣花坊(いのうえけんかぼう)らによる新川柳運動の展開を機に活性化します。道内各都市に川柳会が結成され、1910年代に全盛期を迎えました。とりわけ田中五呂八の台頭による新興川柳は、道内作家を刺激し、戦後の活性化へとつながります。1964(昭和39)年に結成された北海道川柳連盟の盛んな活動が続いています。
神尾三休(かみお さんきゅう)
1883(明治16)年~1953(昭和28)年
埼玉県出身。北海道柳壇の草分け的存在。1917(大正6)年。「札幌アツシ会」を結成。
亀井花童子(かめい かどうし)
1893(明治26)年~1958(昭和33)年
函館市出身。函館柳界の重鎮。1918(大正7)年、「渡島川柳社」を創立。「忍路」を発行する。
田中五呂八(たなか ごろはち)
1895(明治28)年~1937(昭和12)年
釧路市出身。新興川柳の祖。1923(大正12)年、「小樽川柳社」を興し、新興川柳誌「氷原」を創刊。川柳文学運動を展開。
三輪破魔杖(みわ はまじょう)
生没年不明
1913(大正2)年、北海タイムス社に入社。「タイムス句会」を開催。北海道柳壇創始者の一人として活躍。
北村白眼子(きたむら はくがんし)
1895(明治28)年~1979(昭和54)年
愛知県出身。函館柳界発展に貢献。1931(昭和6)年、「北海川柳社」を創設。『川柳漁火』を発行。
鈴木青柳(すずき せいりゅう)
1908(明治41)年~1999(平成11)年
函館市出身。1943(昭和18)年、函館川柳社を引き継ぎ、群雄割拠の函館柳界を統一。
古田八白子(ふるた はっぱくし)
1894(明治27)年~1939(昭和14)年
1923(大正12)年、田中五呂八とともに「川柳氷原社」を興し、新興川柳運動に参画。
甲野狂水(こうの きょうすい)
1898(明治31)年~1966(昭和41)年
函館市出身。1924(大正13)年、新興川柳「ほのほ」を発行。田中五呂八の主唱する新興川柳に参画。
斎藤大雄(さいとう だいゆう)
1933(昭和8)年~2008(平成20)年
札幌市出身。札幌川柳社主幹。北海道川柳連盟会長として、「情熱の川柳」を標榜し、川柳界の隆盛に尽くした。
千島・樺太の文学
千島・樺太の文学は、幕末から明治にかけての探検と開拓の時代、敗戦に至る時代、そして敗戦後から現在に至るまでの時代の3期に分けることが出来る。敗戦後には、ソ連軍侵攻と引揚げの物語、“国境の海”を取材した物語など多くの作品の舞台になっている。
寒川光太郎(さむかわ こうたろう)
1908(明治41)年~1977(昭和52)年
浦幌町出身。代表作に『密猟者』など。第10回芥川賞(1939(昭和14)年)を受賞。
李恢成(イ・フェソン/り かいせい)
1935(昭和10)年~
樺太出身。代表作に『またふたたびの道』『砧をうつ女』『見果てぬ夢』など。第12回群像新人賞(1969(昭和44)年)、第66回芥川賞(1972(昭和47)年)を受賞。
吉村昭(よしむら あきら)
1927(昭和2)年~2006(平成18)年
東京出身。100回を超す来道取材を重ねる。『羆嵐」『破獄』など。日本芸術院会員。
夏堀正元(なつぼり まさもと)
1925(大正14)年~1999(平成11)年
小樽市出身。新聞記者を経て作家となる。『北の墓標』など。
作家の自筆原稿コーナー
このコーナーでは、作家の自筆原稿を見ることができます。引き出しを開けて、じっくりと作家の筆跡と対面することができます。
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ここでは、過去に「北海道新聞」に連載された北海道の文学についての読み物記事をご覧いただけます。スライド式の新聞ばさみから、お好きなものを手にとって見ていただけます。
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